「不要な情報は受け流す」ということ
お説教ツイートの類が非常に苦手である。
お説教ツイート、というのは、自身の経験を単なる成功談として語るだけでは自身の正当性を保てない人が、自身の経験の正当性を主張する為、その経験から得る教訓について「世間一般に(唯一的に)正しい解」であるかのように語る類のツイートだ。(具体例をすぐに出せない・出したくないが故、こんな回りくどい言い方をしてしまい、申し訳ない)
そのようなツイートをする人は勿論、一度フォローした方でもお説教ツイートをリツイートした人に関しては、顔見知りの方でない限り堪らずアンフォロー、あるいはブロックする、というのが私のTwitterの使い方であり、何年も使ってるのに未だフォロー数が2桁に留まっている理由だ。
一般的なTwitterの使い方であろう、「数百、数千をフォローしてタイムラインをザッピングし、興味を持ったツイートだけにアクションを起こす。」「そもそもザッピングする範囲はタイムライン全てではなく、Twitterを立ち上げた時からの過去数百ツイート分に留まるわけで、全てのツイートに目を通しているなどありえない。」という使い方と私の使い方は非常に対照的だ。
ここで問題なのは、「自分のタイムライン、あるいはリストで目にする全てのツイートは自分にとって必要な情報である」という私の考え方だ。
全てのツイートが必要な情報であると考えてしまうが故、フォローしている方の中で、何かのイベントが重なって突発的にツイート・RT数が増加する方が増えても、更新されたツイートを頑なに目に通そうとするし、うっかりRTで回ったお説教ツイートを目にしようものなら、受け流すことができず、しばらく執着してしまう。
ここでも原因になっているのは、やはりその執着さなのだろう。
log 20170616
「……だからさぁ、そこを反復した所で、何だってんだよ。俺はこの姿勢そうそう変えるつもりないからな。
それがどうしようもないと言うのなら、難癖付けさせなくても「これならできる」と俺を納得させてみろ。
1から100まで一人でやらなくていい。
人に助けを求めることを恐れるな。
どのみちもう今日やることじゃない。過去への忘却に押しやって風呂も入らずに寝ちまいな。
それとも…、認めなくないのか?実はやるべきことには一向に手をつけることをせず、やりたいことばかりやっていたいのが自分の本分だってのが。
認めてしまえよ。その怠惰な自分を。
その上で、怠惰な人間に合った現実との向き合い方を取り入れるんだ。
どんな事でも真摯に取り組む自分なんていう幻想あるいは願望を捨て去れ。
でなきゃこの疎外感は一向になくならない。お前は疎外感を抱き続けることに固執しているんだろうがな。」
カウンセリングノート
専門の人に相談することをようやく決められたので事前にまとめるなどした…できないだろうと思ってたのにまあまあまとめられたもんだと思う。
Evernoteからのコピーなので雑な書式なのはご愛嬌。
目的
もうなんか色々と困ってる。ずっと前から。自分なりに分析してネットで調べたりしたが、やはり専門の人に話を聞いてほしい。後できればおすすめの書籍を聞きたい。
・何をするにも度の過ぎたシミュレーションが頭の中で働いて「何もしない」のが一番いいことだ、と最終的になってしまう。
やるべき作業をある程度頭の中で網羅するものの、こんなことができるのかと恐れおののいたり、もし挫折したらどうしようとあるのかないのかわからない不安が頭の中いっぱいに苛まれる結果、防衛本能みたいなものが過剰に働いて「何もしない」のが唯一の打開策だと結論付けてしまう。
網羅したことを一度に「すぐにやらないといけないこと」として挙げれば自分じゃなくても誰だってげんなりするんだから、皆優先順位を付けたりしているんだ、とわかっていても、うまくいかない。心がわかっていても体と脳みそが動かない。どうしよう?
ex.4月にふさぎ込んでバイトに入れなかったせいで現在財布の中がさみしいところがあるので「日払いのバイトするかあ」と一度は思うが、頭が「不当な扱いを受けたらどうしよう」「バイトに時間を割かれて卒論が進まなかったらどうしよう」「すぐ辞めさせてくれなかったらどうしよう」と考えが止まらなくなり、まずはバイト応募サイトにアクセスする、といった所になかなか進まない。「1日2日働けば十分だから!」と自分を説得(これも変な話だ)することでようやく一つ応募できた。(説明会の日時会場の都合が合わなかったのですぐ取り消ししてしまったが。)似たようなことが就活でもある。
・こうあるべきだ、という自分と、こうしたい、という自分が剥離していてうまくいかない。
ex.就職活動の方針として、「人手が足りなさそうな仕事」として介護関連の企業に応募したりした(現在一次は通過)したものの、本当のところは「俺だってやりたくない」という内からの声があったのにも関わらず黙殺していた結果就活がぱたと止まってしまった。
ex.卒業論文でインタビュー調査を盛り込むべきだ(というより盛り込まないといけない)と思っていたが本当のところは「人を介さず黙々とテキスト分析がしたい」という内からの声を黙殺していた結果、各期日のギリギリにならないと進めていなかった。これは現在もそう。
ex.本を読む時に、読みたいところだけかいつまめばいいのに頭から最後まで漏れなく読むことに執着して全然ページが進まない。読書が好きだったはずなのに今は(長期休暇中に)10冊借りて1冊しか読み切れないといったことがざらじゃない。
ある種「こうあるべきだ」ということに囚われるとそれに執着してしまうところがある。どうすればいい?
対策として、もっと内からの声を聞くことに注力する、頑固になっていることに自覚をする、ということをやっているが...
・人より生きようとする意志、成長したいという気概、何とかしようという意志(自己効力感)に欠けていて不安を覚える。
他の人と自分を比べていると思ってしまうこと。
強い志を持った人に限らず、やるべきことを当たり前のようにこなせる人に対しても感じる。
そもそも自分の人生に明確なビジョンを抱けることが理解ができない、とまでは言わないまでも不思議でならない。
限りある時間の中でできることが限られていることにある種絶望感を抱いているのかもしれない。
じゃあ何がしたいか・・・と言われると、特に浮かばない。強いて言えばパソコンに強くなりたい。
したいことは大抵趣味の領域で、いわゆるライフミッション的なものをまったく抱けない。抱けないことがいいとしても、この先ちゃんと生きていけるのか不安。
趣味:音楽をいっぱい集める、色んな飲み屋に行く、色んなビールを勉強する、立体的な編み物を作る、細かい切り絵を作る、絵を描く・・・
こちらも色々ありすぎて、とっちらかっている。
人からアドバイスを聞く、人に助けを求めるという手段を取ることに対して過剰な程恐れている。
迷惑を掛けていないだろうか、(そもそも自分が助けを受けるに値する人間なのか、)何か否定をされないだろうか。ここでも自己防衛が働く。
ex.親に指摘されたことだが、家にいてお腹が空いていても「料理」が用意されていなかったら自分で冷食を温めるとか簡単な調理をするとかコンビニで何か買うとかいったことをせずに、親が帰ってくるまでじっと待っている時期が去年ほどまでずっとだった(今は改善した)
・自分を過小評価してしまうことを抑えられない。
人と話す時はまず相手を上に置く。対等な立場で、ということができない。だから隙あらば卑屈な姿勢を相手に見せる。それを後々後悔する。
ここで思い出したが、「過去にやらかしたことについて何度も何度も想起してしまう。それを抑えられない」問題もある。
このせいでまともに"早く"寝られない。気を紛らわす為にスマホだのゲームだのなんだのやってる内に4時、5時回って、限界まで眠くなることでようやく寝られる。ちなみに恥ずかしいことだが今現在もそう。なのでまず是正すべき課題としては「早く寝て早く起きる」ことであると認識している。
本題に戻すと、過小評価してしまうのは色々と原因がありそうだが、一番は「卑屈な姿勢をとることで相手に「そんなことないよ!」という肯定を得ることを欲しているから」なのではないかと考えている。
気付きたく無かったこと
自分を卑下したがるのは、卑下してる所を相手に見せて、相手に「そんなことないよ!」と言われたかったからだ。
リマインド - 2
もひとつ気付いたのは、
自分に関係のないモノ同士は大抵結託していない。
お粗末なドラマはお粗末だし、
おいしいすた丼はおいしい。
全然例えになってないけど、そんな感じ。
リマインド
自分に関係あるモノ・ヒトより、自分に関係ないモノ・ヒトの方がこの世界の99%を占めている。
この事実があるから、頭の中で声高に去勢を上げ続けるモノ・ヒトを忘れ去ることができる。
たった1%のモノ・ヒトが頭の中を占めてしまうが為に、追い詰められることがあってはならないのだ。
完璧主義からの脱却に関する十何度目かの試行 - 2
やっぱり、うまくいかない。
では、こうしよう。
目的を、絞る。
これは、一度の作業に複数の目的を見出そうとする自分の癖に反するものだ。
しかし、その癖が作業進行に支障を来している(きたしている)というのなら、矯正するほかない。
いやしかしなんでこんな試行錯誤しないと人並みに手動かさないんだ