TAKE BACK THE HEA(R)T

A Layer under the Layer

気付きたく無かったこと

自分を卑下したがるのは、卑下してる所を相手に見せて、相手に「そんなことないよ!」と言われたかったからだ。

リマインド - 2

もひとつ気付いたのは、

 

自分に関係のないモノ同士は大抵結託していない。

 

お粗末なドラマはお粗末だし、

 

おいしいすた丼はおいしい。

 

全然例えになってないけど、そんな感じ。

リマインド

 

自分に関係あるモノ・ヒトより、自分に関係ないモノ・ヒトの方がこの世界の99%を占めている。

 

この事実があるから、頭の中で声高に去勢を上げ続けるモノ・ヒトを忘れ去ることができる。

 

たった1%のモノ・ヒトが頭の中を占めてしまうが為に、追い詰められることがあってはならないのだ。

完璧主義からの脱却に関する十何度目かの試行 - 2

frontalice.hatenablog.com

やっぱり、うまくいかない。

では、こうしよう。

目的を、絞る。

これは、一度の作業に複数の目的を見出そうとする自分の癖に反するものだ。

しかし、その癖が作業進行に支障を来している(きたしている)というのなら、矯正するほかない。

いやしかしなんでこんな試行錯誤しないと人並みに手動かさないんだ

完璧主義からの脱却に関する十何度目かの試行 - 1

 

心を平静に保てるだけでは、腹立たしいことに、何も進まない。

 

やらなきゃいけないことが、あるとしよう。

 

普通の人は「まあ、やらないとね」と、多少のぐずりは人によってありつつも、最終的には、やる。

 

しかし、自分は、やれない。徹底的に、やれない。どうしようもない所まで追い込まれて、やっとやろうとする。結果は言わずもがな。

 

この極端な面倒くさがりの裏には、やはり際限のない完璧主義が潜んでいる。

 

自分がやろうと思えば(実際には手を付けないのでやらないのだが)どこまでも時間を掛けてしまい、他のやりたいことに手がつけられなくなることのが容易に想像できるから、結果としてやろうとしない。

 

しかしそれはまったくの、苦行だ。

自分じゃなくてもそんな事、実際にできるわけがない。

 

結局その想像も、ネガティヴに考えた時の想像でしかない。2時間位でちゃちゃっと終われるという想像を(とても苦手な事だが)すればいい。

※まずこの思考に至ることが今までできなかった

 

ならば実際に2時間経ったらその日はキッパリ止めてしまえばいいーーーここまでは何度か実践したものの、大体失敗に終わる、つまり習慣付けられずに終わる。

 

なので、今回は、「2時間で自分が安心する域まで達する用工夫する」。工夫とは、妥協するとか、深追いしない、とかそういう類のもの。

 

自分自身がその作業によって求めている「成果」を2時間以内にできるだけ多く得られる様工夫する。

 

さて、宣言はできた。後はやるだけ。

 

どうだろう。

パニックからの逃げ方

 

これは、例え話なんだけれども、

 

辛い事で頭の中が一杯になっていた時に、

 

唐突に「かつおぶし」を頭に浮かべる。

 

削られた後じゃなくて、削られる前の、乾いた肉塊の状態。

 

この状態のかつおぶしとは、自分と関わりを持つ存在じゃない。

 

つまり、かつおぶしは自分の人生を歩むにあたり重要なものでもなければ、自分を追い詰めようとする放っておくわけにはいかない存在ではない。

 

自分と関わりをもつ存在の数なんかより、かつおぶしみたいなものの方がこの世界にはずっと多い。

 

それを思い出すことで、心が幾分楽になるのだ。

 

----

 

問題は、今までそれを無意識下で実践していたにも関わらず、ほとんどが有効に働いていなかったことだ。

理由は、かつおぶしを思い浮かべるに留まらず、かつおぶし作りに携わる人のことまで深追いしてしまうからだ。

かつおを釣り上げる漁師さん、釣れたかつおを卸売りする業者さん、買ったかつおを乾燥させる職人さん、さらに言えば乾燥されるかつおそのもの……

色んな人(とかつお)が今日も人々にかつおぶしを提供すべく自分の役割を果たしているのに引き換え、自分と来たら……と一周回って振り出しに戻ってしまうのだ。

辛い事が頭の中で一杯になる原因は大抵、やるべきことをやらない、つまり、自分と関わりをもつものについて向き合わないことによるものだ。だからいつまでも自分の役割を遂げない、というかそれ以前に、探さない、それで辛くなる………(だからやるべきことをやれない(以下ループ))

 

----

 

最近、まずそのループを脱する為に、余計な事を考えない、つまり何か頭の中で深追いするタネが、川に流れる大きな桃(中身はやぶ蛇)のようにドンブラコドンブラコ流れてきても、すくって、桃をカチ割ろうとしない事をやっている。これがまあ平静さを保ち続けられる点ではすこぶる有効に働いている。

 

すると連鎖的に、今までトラブル対処の別のアプリケーションとして働いていた「かつおぶし.exe」も正常に働くようになった。かつおぶしの事だけを考えて、それ以上の事を考えずに済むようになった。

 

しかし平静さを保つだけでは事は進まない。面倒くせえ世界だな

実際にやるべきことに手をつける為には、更なる別のプログラムが必要だが、それはまた別のお話し。

 

つづく(かどうかは不明)

 

dig進捗002

おっ今日はすんなり入れそうだなと思ったのも束の間、
SCRAPの発表について色々深追いしてる内に、
「「求める位なら自分で作れ」って安易に言うか普通???!!!???」
とまた一人で勝手にキレてしまい時間ロスになりましたが私は元気です

あとこの記事からMarkdownでの記述に試みてます


ニコニコ動画はいかなる点で特異なのか

「疑似同期」「N次創作」「Fluxonomy(フラクソノミー)」

元記事

テーマ:ニコニコ動画

要旨

ニコ動関連の研究でよく取り上げられる濱野智史氏の著書『アーキテクチャの生態系』からの派生文献。

「疑似同期」はバラバラの時間帯に投稿されたコメント群を再生時間のどのタイミングで投稿したかという時間軸で動画と共に閲覧できることで、あたかも他の視聴者と一緒に動画をリアルタイムで見ているような擬似的な体験を得られるということ。

「N次創作」はある動画の派生作品として別の動画が作られ(ここまでは「二次創作」)、その派生でさらに別の動画が作られ・・・と一つの動画から連鎖的に、コンテンツ創作が行われていく現象のこと(ボカロ曲→歌ってみた→合唱)(例のデレマス合作→BE MY BABY→一人合作→一人合作オールスター)(ほんへ→クッキー☆→登場声優にフォーカスした合作→単品動画/素材配布)。N次創作については、ニコニコ動画(とその関連サービス)特有の現象とされ、同じ動画サイトであるYoutubeでは二次創作は起きてもN次創作は起こらないと濱野氏は比較されている。その理由としては、「海外では、日本に比べてオタク文化・同人創作文化がそれほど強くは根づいていない」からだと考察されている。 この理由の補強として使われているのは東浩紀氏の「データベース理論」。

しかし、ニコニコ動画の普及以前に数百万人単位もの日本人がYoutubeを使っていた。にも関わらずYoutubeではN次創作は起こらなかった。
そうなると、ニコニコ動画の環境設計(アーキテクチャ・デザイン)にN次創作が芽吹いた土壌を見出すことができそうだ。

ということで3つ目の概念が「フラクソノミー」。濱野氏が従来から使われている「フォークソノミー」を元に新たに提示した概念である。

ニコ動のタグ機能はご存じのように、投稿者も視聴者も自由に新規タグの作成、既存タグの編集・削除ができる仕様として使われている。しかしタグはまったく自由に付け替えできるものではなく、投稿者に権限として与えられたタグロック機能によって整理やアクセス数増加に必要なタグを保護することができるようになっている。また、タグは無尽蔵には増やせず、最大でも10個までと決められている。

このような上限数と保護枠の設定といった制約は、タグの編集合戦が起きた際により有益なものが残るよう、淘汰を起こすためではないかという別の文献の指摘がある。

(ちなみにタグ機能というものは2000年代中盤(「Web 2.0」)以降に多くのサービスで実装されるようになった比較的新しいものである。)


・・・ちょっとこの文献までフラクソノミーについて続くけど量子力学の域に入っちゃってるのでこの辺で・・・