TAKE BACK THE HEA(R)T

A Layer under the Layer

「不要な情報は受け流す」ということ

お説教ツイートの類が非常に苦手である。

 

お説教ツイート、というのは、自身の経験を単なる成功談として語るだけでは自身の正当性を保てない人が、自身の経験の正当性を主張する為、その経験から得る教訓について「世間一般に(唯一的に)正しい解」であるかのように語る類のツイートだ。(具体例をすぐに出せない・出したくないが故、こんな回りくどい言い方をしてしまい、申し訳ない)

 

そのようなツイートをする人は勿論、一度フォローした方でもお説教ツイートをリツイートした人に関しては、顔見知りの方でない限り堪らずアンフォロー、あるいはブロックする、というのが私のTwitterの使い方であり、何年も使ってるのに未だフォロー数が2桁に留まっている理由だ。

 

一般的なTwitterの使い方であろう、「数百、数千をフォローしてタイムラインをザッピングし、興味を持ったツイートだけにアクションを起こす。」「そもそもザッピングする範囲はタイムライン全てではなく、Twitterを立ち上げた時からの過去数百ツイート分に留まるわけで、全てのツイートに目を通しているなどありえない。」という使い方と私の使い方は非常に対照的だ。

 

ここで問題なのは、「自分のタイムライン、あるいはリストで目にする全てのツイートは自分にとって必要な情報である」という私の考え方だ。

 

全てのツイートが必要な情報であると考えてしまうが故、フォローしている方の中で、何かのイベントが重なって突発的にツイート・RT数が増加する方が増えても、更新されたツイートを頑なに目に通そうとするし、うっかりRTで回ったお説教ツイートを目にしようものなら、受け流すことができず、しばらく執着してしまう。

 

ここでも原因になっているのは、やはりその執着さなのだろう。