TAKE BACK THE HEA(R)T

A Layer under the Layer

『南極料理人』の「ごっこ遊び」

 

南極料理人』がテレ東でやっていた。

 


あれは「南極という極限状況に置かれたおじさん達の面白い生態」を映していると見せかけた「南極という極限状況に置かれてわかる(ジャンクフードを含めた)日常の食卓の有り難み」を映してるし、冷食やチェーン店で食には困らない我々にそう説いている。

 

 

所属の違う8人が次第に家族のように打ち解けていく…ように描写されているが、家族のような振る舞いも、学生のような馬鹿騒ぎも、正装でフレンチを楽しむのも、色んな役を代わる代わる演じるのを楽しむ「ごっこ遊び」をしているようにも映った。南極の外ではおじさん(と兄ちゃん)達が南極から帰ってきた後も共にし続ける家族や恋人(破局してたけど)がいる。お互いに寂しい思いをしているおじさん達が、南極の1年間をしのぐ為の策だったのかもしれない。

 

 

 

堺雅人と糸井さんが『南極料理人』について話してる記事がある。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 堺雅人さんと、満腹ごはん。

 

 

 

一般的に面白くする為になされる演出をことごとく排除していることへの良さ、というのはまったくもって同意見だ。それでいて無味乾燥というわけではなく全編通してずっと面白い。突っ込みをいれたくなる箇所はそれはそれはたくさん仕込まれているわけであるが、そこに「ほらここだよ!笑って!」という演出は入ってない。失恋して基地を飛び出した高良健吾の涙の跡がすぐ凍っちゃう所とか。

 

 

 

ちょうどこの後に録った「笑ってはいけない科学博士」を見てると尚更そう思ってしまう。「今年の5人は科学博士になる!」とナレーションが入って画面になぜかバーテンダー姿の5人の写真が使われている場面がある。それがなぜなのかはまったくもってわからないが、妙に引っかかるポイントである、と思った束の間、スタジオの5人の中の誰かがそれに大声で突っ込む。視聴者が能動的に突っ込みどころを探す番組ではないのだ。視聴者にはただ笑う(か、笑わないよう堪える)ことを求められるだけだ。

 

 

それがない『南極料理人』という映画は、ずっと前から気に入っている。

 

 

そして記事では案の定、糸井さんは野球に例えてる。

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で、どこっていう何かを絶対してないですよね。
南極料理人』の役者たちには
この監督の野球をしよう、みたいなところが
ありましたね。

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物書き 20170103

 

17:53

 

最近心が下向きになりそうな時によくやってる「ポジティブな言葉をGoogle検索する」というもので「defeat the fear」とやってみたら、検索結果に良い言葉が出てきたので書いてみる。

 

"Defeat the fear of death and welcome the death of fear."

 

たぶん「死への恐怖を打ち負かし、恐怖が死ぬ(消える)ことを歓迎しろ」みたいな事を言ってるのだと思う。「Death」の一言をネガティブからポジティブに反転させているのが気に入っている。

 

この言葉を発した人物は、ジョージ・ゴードン・リディという人らしい。なんでもアメリカの政治史では有名な不正事件、「ウォーターゲート事件」に関与したホワイトハウス内の人で、後に俳優に転向したらしい。

 

そんな背景を知ってしまうとこの言葉もなんだか…、怖いもの知らずというのは時に善悪の境界線を乗り越える時にも使われるものなのかなあと思ってしまう。

 

 

18:23

 

僕の大好きなk.h.d.n.の曲「24/7」という言葉は、渋谷とかを闊歩してるとカフェの店名にも使われていることに気付く。そもそもこいつはどういう意味なのか?と調べると、「24時間中、一週間中ずっと」という意味らしい。SFA版の副題に「-All Day Night-」と付いてるのも頷ける。しかし一週間夜通しずっとはきつい。

 

たった一つのルール

長ったらしい理由とか、そんなのはいらないんだ。

 

ルールはただ一つ。

 

自分の言葉で語ること。

安易に固い言葉を使わないこと。

 

二行だけど、言ってることは同じなので、一つだ。

 

 

 

 

 

なぜだろう、更新ボタンを押そうとした時、激しい既視感に襲われた。

以前にも同じような決意を抱いて、挫折して、また同じ決意を抱こうとしている……、そういうわけではないことであって欲しい。